思い出話(2)
バンクーバー大好き☆
私が、バンクーバーを訪れたのは、1997年に香港が中国に返還される4,5年前であった。
旅行者にあるまじきではあるが、家具を見るのが大好きな私は、まず家具屋をめぐる。
お部屋ごとにセットアップされており、それはそれは素敵で可愛いいったらありゃしない😍😍
お店に入るたびに、
『香港からですか?』
と、聞かれる。
写真を撮ると嫌がるお店もあるが、
『家具は好きなのを選んでいいと家族に言われてるんだけど、一応、写真とって見せても良い?』
と、聞くと
『どうぞ、どうぞ、』
と、どのお店も、とても親切にしてくれる。
そう、皆、信じている。
私は、香港から移住し、家を買い家具を揃える類の上玉だと。
そこで、思いつた
この手はいける!!
私は、家具を見るのも好きだけど、それ以上に家を見るのが大好き🏠
20代の外国人が、家を見たいと言ってもあまり相手にされないだろうが、何せ香港のお金持ちがわんさかとカナダにやって来ていた時代。
これを良しとしない高齢者が前述の”お上品なおば様”だと、後で、地元の人に聞いたのは、さておき、
これは、いける!とダウンタウンにある不動産屋にマンションを見せて欲しいと言うと、これまた、快く引き受けてくれた。
それは、それは、丁寧に私の希望を聞いてくれた🤗
どこから見ても、香港のお金持ちのお嬢様には見えなかっただろうが、これは、”いける客”と信じてやまない様子。
バンクーバーへはシアトルから入った。シアトルで目に留まるのは、やはり素敵なマンション。中を見せて欲しく事務所らしきところに聞くが、冷たくあしらわれた。食い下がり、何とかパンフレットだけ貰った。その後、このパンフレットを後生大事に持っていた私である。
はー、にしても、バンクーバー素敵💕
海と山が見える素晴らしい眺望を堪能して、絶対、ここに住みたい!!!
と、心に誓ったのであった。
そして、副題にあるカナダでFireは、ここからスタートしたのである!
が、なぜに、今インド🙄
(インドが嫌いと言う意味ではない、私にとってインドは感謝しかないから)
さて、人生後半戦に突入したけれど、夢のバンクーバーまだまだ諦めてないよ😉